やる気の維持は文字によるアウトプットかもしれない
課題などやらなければならないことをやるのは私にとってはとても難しいことなんですが、最近こうしたらよくなるんじゃと思うことを見つけたので、ブログで書こうかなと思いました。
やる気の維持についてです。
そもそも、最近は「やる気なんて存在しない」ということを東大の教授が言ったりして
やる気とはなんぞやみたいな感じになってるんですが、私はやる気はあると思ってる派の人間です。
私はある特定のことをやらないといけないと意識をもって行動に移すまでの行為がやる気に依るものだと考えています。
もしこの世にやる気がなかったとしら、ニートがこの世にいることの説明がつかなくないですか?
と考えるとやる気は何かしらの要因によって発生します。例えば、働くことでいうと、世間体だったり、賃金だったり、やりがいだったりします。
こういう働くことといった、生活のためのものではなく、長期的にみたら必要だけど、今はいらないよねっていうもののやる気の維持は非常に難しいと思います。
例えば、英語の勉強だったり、資格の勉強だったり、、、基本的には勉強系ですね。
日本人は成人になるまで最低でも3~6年間英語を勉強しますが、日本人は英語が喋れません。
これこそ、英語を勉強するやる気が欠けているからだと思います。
中国人も韓国人も世界でみれば我々と同じような場所に住んでいますが、この両国は大学卒業したら英語は喋れて当然だよね、っていう感じになっています。
つまり、日本だから英語が喋れなくていいってわけでは全くないのに喋れないということです。
で、こういったものの今必要じゃないけど今後必要になっていくものを勉強して自分のスキルとして身に着けたいけど、やる気の維持ができなくて結局10年20年経っちゃいました。みたいなのを防ぐためには、文字を書くことが大切だとふと思いました。
なぜかというと、そもそも英語にせよ資格の勉強にせよ、現在は音声のみ又はアニメーションのみで、これらをスキルとして身に着けるのはほぼ不可能です。できたとしても効率が悪すぎます。で、一般的にはこれらを勉強する方法は、本か動画か講義に依ります。
これらに共通するものは絶対に文字読む機会がでてくるということです。
で、我々だと日本語をベースにして勉強します。なので、その文字というものを読むとう抵抗を常になくしておけば、勉強のやる気が削がれにくいと思いました。で、僕の考えなのですが、やる気は出るものでなく、もともと潜在的にあるもので、日常生活によって削がれてしまうものだと思っています。
例えば、今日のニュースで今日の出来事を知ろうとしたとき日本で放送されているニュースがすべてフランス語だったら見る気なくして、今日の出来事知らなくていいやってなりますよね。
事例として、韓国では1970年頃の漢字廃止以降、韓国の大学生はそれ以前に書かれた本が漢字が分からないとい理由で読む気がなく読まないケースが多いとのこと。(呉善花の『「漢字廃止」で韓国で何が起こったのか』で取り上げられています。)
つまり、やる気の出し方ではなく、いかにやる気が削がれないかを考える必要があると考えます。
日本でも、漢字が苦手、文字を読むのが苦手だとすると、勉強で必要な過程である、文字を読むことのやる気が削がれ、結果として勉強せず、スキルがついていないことになってしまっていると思います。
なので、文字を読んだり、漢字が苦手なのをなくすために、文字を書こうということです。
なんでもいいと思います。
日記や勉強した内容をブログにする。好きな単語をノートに書く。アマゾンのレビューなど。
文字を書くと自然に意識が高くなります。また、文字を書くということは、ついでとして文字を読むことにもなるので、その意識のまま勉強をすると捗り、やる気がなくなってきたら、また文字を書いて、やる気を維持させるということが大切だなぁと感じたのでブログに書いてみました。
私はやる気は潜在的にあるものだと思っているので、やる気がなくなったらそれは間違っている状態なんだ、と思ってやる気を復活させて文字を書けばいいんではないかと最近感じました。